宮城県民として『今、できること』
あの日から1ヶ月が過ぎてしまいました…
3月11日14時46分、東北を中心とする大地震が起き、地元宮城も甚大な被害を受けました。そして、東日本にお住まいの方々の生活が変わってしまいました。
被災に遭われ住む家を失った方々、大切な人を失った方の気持ち、今も避難所で不自由な生活をされている方々のことを考えると、自分の無力さを感じずにはいられませんでした。
「何かをしなくてはいけない…」心の中では思っていても、何もできない自分に歯痒さと、怒りに似た感情を抱きながら時間だけが過ぎていきました。
地震が起き、津波で被害にあった地域にお住まいの方々の中にも、私共で施工させて頂いたお客様が多くいらせられるにも関わらず、携帯電話も通じず、ガソリン不足によって車での捜索もできないまま、私たちに「何ができるのか?」を苦慮するしかできませんでした。
そんな中、徐々にではありますが、ライフラインの復旧と共に施工させて頂いたお客様や、取引先の方々と連絡がとれるようになっていきました。
津波によって、家を一瞬で失ってしまい避難所で生活されている方からも、連絡を頂き私共の方が励まされているという現実もありました。私共の事務所もエコノハの展示場も津波によって被害を受けました。
地震の翌日、3月12日に事務所の周辺の大きな被害を目の当りにして、復興はできるのか?と思うくらいの惨劇で、工務店を続けていくのは不可能ではないのかと、正直心のどこかで考えている自分がいました。
でも、何もできない自分に光を与えてくれたのは被災した方々です。「何をしたらいいのか?」「何ができるのか?」を考えているだけで、行動しない私よりも、避難所で不自由な生活をしている方々の方が復旧に対する思いが遥かに強く、逆に元気をもらいました。
ご自分の家が津波の被害に遭い、避難所生活をしているお客様から「私たちは大丈夫です。何かお手伝いすることはありませんか?」など、激励のお電話をいただき涙を我慢できないほどの感動と勇気を与えて頂きました。
そして、私が無力感で立ち止まっていることは、何のプラスにもならないと気づかさせていただきました。
「自分たちに何ができるのか?」をもう一度模索し、今後「自分がやれること」「やらなくてはいけないこと」がはっきりしました。それは…
「家を建て続けること」
伊藤建設のポリシーでもある、自然素材で造る健康に優しい家を建て続けること、
そして2世代、3世代と「継承」していける丈夫で「住みやすい家」を建て続ける。
これが、私共が「今できること」だと思いました。津波で家を失った社員もいます。今もまだ自宅のライフラインが復旧していない社員もいます。ガソリン不足で車が使えず毎日往復3時間以上かけ出社している社員もいます。
会社的にも事務所を失いました。会社の電話番号も今は使えない状態です。ですが同業者の方のご好意で、卸町に仮の事務所を提供していただけました。そして電話番号は変わってしまいますが、電話も通じるようになりました。
4月末にはエコノハの展示場も復旧する予定です。私たちが「今できること」私たちにしかできないことは、「家を建てる」ことです。
被災した方々、避難所で不自由な生活を送られている方々に思いを馳せながら、被災した方々の気持ちを決して忘れずに、それでも前に進んでいくことこそが、被災した多くの方々の為に必要なことだと思います。
もちろん、口で言うほど簡単なことではありませんし、安易に割り切れる物でもないと思います。
それでも、一歩ずつでも前に進んでいくことが、大げさではなく宮城に住んでいる私たちに求められることだと私は思います。
そのような気持ちで、伊藤建設は家作りのお手伝いを変わらずに行っていきます。
私は今まで家作りをやってきたので、このような表現しかできませんが、これからもあなたの人生は続いていきます。そして生活の中心となる家は必要不可欠なものです。
津波で家を失った方、地震で家に住めなくなってしまった方、これから家を建てようとしている方、「家を建てたい」と思っている全ての人が満足でき、安全に安心して暮らすことのできる「家」をこれからも造り続けていきます。
あなたが一歩ずつでも前に進んでいくお手伝いをさせて頂きたいと考えております。
最後になりましたが、今回の地震で被害を受けられた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
卸町の仮事務所にて。
平成23年4月12日
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